「ふしぎなキリスト教」を読みました。

本日ご紹介するのは、橋爪大三郎さん、大澤真幸さん著の「ふしぎなキリスト教」です。特定の宗教を信じておらず、また知識もあまり持たない僕ですが、教養の本としても大変興味深い本でした。特に、キリスト教が「西洋」を作る上でどのように役立ったか、という点は大変勉強になりました。
ただ、現在キリスト教を信じている方からすると、不快に感じる点もあるかもしれない1冊だとも思います。というのも、本書は宗教社会学者である橋爪さんが、宗教を社会学的な視点で分析して意見を述べているところが多いからです。敬虔なクリスチャンであれば、こうした記載はみていてあまり気持ちの良いものではないかもしれません。今回僕も、そうした本書の記載について取り上げておりますので、その点ご注意ください。

まずは、第1部「一神教を理解する -起源としてのユダヤ教-」について。キリスト教を語る前に、その起源でもあるユダヤ教について説明している部になります。
まず驚いたのは、キリスト教とユダヤ教の関係についてです。キリスト教は、ユダヤ教の教えを内部に保存している。ユダヤ教に対応する部分が「旧約聖書」であり、イエスの後に付け加わったのが「新約聖書」である。ここのあたりは、一般常識なんでしょうか。少なくとも、僕は全然知りませんでした(笑) なお、本書が優れている点のひとつに、僕のような素人でも宗教について分かりやすく学べることがあげられます。平易な言葉、具体的なエピソードが用いられているおかげで、こんな僕でもすいすいと読むことが出来ました。
また、「なぜ人々はユダヤ教を信じ続けたのか」、もっと言うと、「多くの宗教が消え去った中、どうしてユダヤ教はこの世界から消滅しなかったのか」という風に、社会学的な視点から宗教について語った点も面白かったです。特に、「ユダヤ教徒は歴史的に理不尽な出来事に遭い続けてきた。しかし、それでも神を信じ続けたのはどうしてか」という疑問に対する回答は、目からウロコでした。分かりやすい例えとして、旧約聖書の「諸書」である「ヨブ記」のエピソードが紹介されています。神を信じて正しく生きてきたヨブが、神から多くの苦難を与えられる。あまりの苦難に、「神様、あなたは私に試練を与える権利を持っているのかもしれませんが、これはあんまりです。こんな目にあうような罪を私は犯していないのに」という。ユダヤ教徒の中でも少なくない人が抱いたであろうこんな疑問に、神であるヤハウェはどう答えたのか。このあたりを読むと、ユダヤ教において神がどのような存在であるかも、よく理解できたと感じました。


続いて第2部。「イエス・キリストとは何か」。ここでは、イエス・キリストについて詳しく考察されています。
まず橋爪さんは、イエスという人物は歴史上確かに存在したのだろうと推察しています。福音書では、もともとイエスは「神の子」ではなく、「人の子」と書かれていた。そんなイエスが、どのようにして「神の子」として認識されるようになっていったのか。その説明に、「イエス・キリストはマトリョーシカのようなもの」と表現されていたところは分かりやすかったです。預言者のひとりであったであろう歴史上のイエスは、徐々に「キリスト=救世主」と認識されるようになった。その後、彼は処刑されたけれども復活して天に昇った、と考えられるようになって、彼はついに「神の子」だとされるようになった。そうしてイエスを「神の子」と認識したことで、ユダヤ教とは明らかに異なる教え(=キリスト教)になっていったということですね。
また、この部で非常に重要だと僕が思ったのは、イエスはそれまでたくさんあった律法をたった2条にしてしまったというところでした。「モーセの律法で大事なのはどれか」と聞かれて、イエスは
「第1は、あなたの主である神を愛しなさい。第2は、あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。
律法はこの2つに尽きている」
と述べた。これら2つは、律法としては具体性に欠いていて、どうすれば愛した事になるかは、人間が自分で考える必要がある。
こうした点は、律法がきっちりと定められたユダヤ教やイスラム教と大きく異なっていますよね。「キリスト教には、人間の理性が重要視される背景がある」。これは、その後の話にもつながる大切なポイントであると感じます。

そして第3部「いかに「西洋」をつくったか」。近代化とはすなわち、西洋からキリスト教由来の様々なアイデア、制度、思考が出てきて、それを西洋の外部にいた者たちが受け入れてきた過程であった、と本書は記しています。では、キリスト教のどのような性質が西洋を作り上げていく上で役立ったのか。僕は、この部をもっとも面白く読むことが出来ました。
例えば言語。西洋の学問的な言語としてラテン語が用いられたのは知っていましたが、その理由が「キリスト教の西方教会がラテン語を採用したため」であったとは全く知りませんでした。
また、西洋では哲学や自然科学の発展、資本主義の精神の浸透がありましたが、そこにもキリスト教の性質が深くかかわっていると考察されています。ユダヤ教やイスラム教では宗教法があり、信者はこの宗教法の解明や発展を考えてきた。一方、キリスト教には厳格な宗教法がなく、「どう生きれば神の意志に沿うことになるのか」が分からない。だから、人間に考える余地があり、結果としてキリスト教には「人間の理性に対する信頼」が育まれた。こうした背景があるからこそ、哲学や自然科学はキリスト教のもとで発展した、ということのようです。また、イスラム教、ユダヤ教に比べるとキリスト教は自由に法律を作れるという側面もあり、それ故に資本主義の精神も広がりやすかった。ここらへんの理論もたいへん明快で、勉強になりました。

自分が特に興味深く読めたのは、だいたいこの辺りだったかな。宗教についてだけでなく、近代社会についても学べる本であり、個人的にはたいへん満足感の高い1冊でした。



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