人生に絶望している作者の作品を見て・・・

某ブログで紹介してあった「欝夫の恋」という作品。実際に読んでおらず、どんな作品であるかを他人の感想からしか知らないのですが、高校でのいじめをテーマとし、最後の最後まで救いのない話だそうです。その内容にも確かに驚くものがありますが、もっと驚いたのはその作者さんのHPを見たときです。詳しくは言えませんが、「この作者さんは人生に深く絶望されているんだな」と感じさせる言葉が無秩序に並んでいました。見る人によっては、恐ろしさすら覚えるかもしれないものだと思います。ただ、自分はそうは思わない。この作者さんの悲鳴に深く共感出来るからです。
何度も言ってきたように、僕は欠陥だらけの人間です。それはどうしてかというと、今まで人間らしい営みから逃げ続け、周囲の人間に比べできることが少なくなってしまったせいです。小学校の頃、いわゆる「キモい人」として嫌われ誰とも話せる相手はおらず、担任の先生からも駄目だといわれ続け、家に帰っても自分がこの家庭の失敗作であるとの意識が消えない。こういう日々が2年くらい続いていました。あの頃の自分は、感情に振り回され、何もかもから逃げてきた。今となっては「よくここまで正常の人間に近づけたものだ」と驚かずにいられません。あの時の僕は時間を無駄に過ごしていましたので、中学に入る頃も小学4年程度の精神年齢で生きていた気がしますから、その分の遅れを少しずつでも取り戻せてきたことは素直に嬉しいです。
なぜ、困難から逃げてしまうのか。何もせず耐えること以外しないのが理解できない、というのが世間一般の考えだとは思います。自分から行動しない人間が、周囲に溶け込めなかったり、いじめられたりするのは自業自得にすら見えるかもしれない。ただ、僕が確信を持っていえるのは、あの「どうしようもない感覚」は、実際に味わったものしか分からないということです。
僕だって、辛い時期はそれなりにもがいていました。周囲とうまくやりたいと思い続けていましたし、そのためにはいくらでも努力するつもりでいました。ですが、何をやっていいのか分からないし、仮に何かをやっても全てが無駄に終わってしまう。あの感覚は、一生忘れることはない。見えないけれど確かに存在する「力」(自分の心に働く「力」と周囲の人間に作用する「力」にわかれますが)に、どう抗っていいのかわからない、いわば「心のあり地獄」の状態です。もがけばもがくほど、どんどん深みにはまっていき心が疲れ果てる。努力しようにも仕方がわからないという感覚、「一般人」に分かるでしょうか。こういうわけで、「欝夫の恋」の作者さんが社会人となった今でも、辛さをもち続けていることや、救いのない物語を作らずにはいられない気持ちも少しは理解できるつもりでいます。
ただそれでも、僕はあのような作品を生み出すべきではなかったと思わずにはいられないのです。いじめを扱う救いのない物語は、読者に疑問を投げかける意味で有益かもしれません。しかし、一方の作者さんはどうでしょう?小説にも物理学の法則と同じものがあり、小説を書く、読むという行為でも、読者に力を加えると作者の方にも力が跳ね返ってくる事実を実感する人は多いと思います。読者を動かす作品を書くと、作者にも内面に力が加わります。果たしてその力は、「欝夫の恋」の作者さんにとって有益なものとなったのか。こう考えると、救いのない話を書くことに対して、僕は意味を見出せません。
偉そうなことをいって申し訳ないです。ですが、どうしてもこれだけは言いたいのですが、絶望からは絶望しか生まれないのです。「心のあり地獄」の本質もまた、実はこの言葉で説明できる気がします。悩んでいるときはひどく理屈っぽくなっている一方で、感情に振り回されてしまいがちです。「どうすれば現状を打破できるのか。」が大事だと考える九州壇氏は、この自分の主張を取り入れた作品を作りたいと強く思いました。

"人生に絶望している作者の作品を見て・・・" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント