「私」は三人いるという考えについて。

私の心と私の体は必ずしも一致しない。これは、どなたも考えることではないでしょうか。「遊びに行きたいけど、体がいうことをきかない。」という経験がない人はいないでしょう。自分の心と、自分の体はどちらも「私」。矛盾した言い方に聞こえるかもしれませんが、「私」は2人いることは間違いありません。
さて、今まではこの考え方で満足していましたし、間違っていることとも思いません。しかしながら最近、もう一人の「私」が存在するのではないかと考えるようになりました。それが「本能の私」です。
こんなことを考えるきっかけになったのは、悩みを抱えているある方の話を聞いているときです。「自分で自分が嫌になる」という発言を耳にしました。よく言うセリフですので、そのときはあまり意識していなかったのですが、後々になってこの発言を突き止めていくと、なんだか面白いと感じたわけです。
この方は、「自分で自分が嫌になる」ような生き方をしているのに、それをなかなか変えることができない。「理性の自分」が駄目だと思い、嫌いになっている「自分」とは一体何者だろうか。そう考えたときに思い当たったのが、「感情的な自分」です。
「感情的な私」は、欲求に正直です。眠くなったら寝る。食べ物があったら食べたいと思う。異性がいたら、触れたいとも思うでしょう。しかし、これは「本能的な欲求」とはまた少し違うと思います。先輩の前でいい顔をしてしまうとか、嫌いな人間を前にして逃げたいと思うこともこれに含まれます。
誰しももっている「私」ですが、どれがいつもいつも表面化することはありません。なぜなら、「理性的な私」がそれを制御するからです。ここで食べたら太る!とか、付き合う前にキスしたら嫌われる、などなど。
ここで再び、九州壇氏が話をした方の言葉を出しましょう。「自分で自分が嫌になる」というのは言い換えれば、「理性的な私」は「本能的な私」が嫌いである、ということになるのではないでしょうか。事象に対してネガティブになってしまう自分が嫌、というのは、理性が自らの感情を嫌っているということです。
九州壇氏はその方を見ていると考えます。「本能的な私」も、間違いなく「私」であることを忘れているのではないか。「理性的な私」が理屈にあわないと考えても、「せずにはいられない」という現象はいくらでも起こりうることなのです。何でもかんでも理屈で解決できるわけではない。当たり前のことですが、自分にも言い聞かせようと思った九州壇氏でした。

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