「ベイシック・フロイト 21世紀に活かす精神分析の思考」を読了いたしました。

本日は、読み終えた本についての感想を述べていきたいと思います。今回取り上げるのは、マイケルカーンさん著の「ベイシック・フロイト」です。
僕は先日ノベルゲームを完成させたのですが、その中でフロイトの夢分析について書きました。その時に精神分析について勉強しようと購入したのが、この本だったんですよね(笑)

総じて、非常に読みやすかったです。特に、「転移」の章。転移を取り扱うことがどうして治療的になるのかが大変分かりやすく書かれていて、目から鱗が落ちる思いでした。また、「罪悪感」についても大変興味深かった。「超自我は基本的に無意識的なもの」という記載には驚きました。というのも、これまでは意識的なものだとばかり思っていましたので……。でも、確かに「謎の罪悪感」を覚える時ってありますよね。納得です。

一方で、「よく分からん……」と思ったところも結構あります(笑) 例えば、エディプスコンプレックスについて。これはフロイトの功績として非常に重要なものです。が、「どうしてエディプスコンプレックスが生まれるのか」については何度読んでもあまり腑に落ちませんでした。「幼少時の性愛とか言われても良く分からん……」なんて失礼なことを考えていました。ここらへんは、勉強を進めていけば納得できるのでしょうか。詳しい人と1度話してみたいなぁという思いです。
あとは、夢についてもあまりよく分かりませんでした。フロイトは、「夢は無意識への王道」としていましたが……。夢の解釈とか言われても、「なんか胡散臭い」という感じであまり頭に入ってきませんでした。とはいえ、フロイトがどのように考えていたのかは知識としては知っておきたいので、また折を見て読み返してみようかと思います。

ちなみに、こういう理論についての僕のスタンスを述べておきますと……。
理論というものは、過信しすぎると大変危険なものだと認識しています。人の心をよく知るために理論を勉強していたはずなのに、いつの間にか人の心を理論にあてはめにいくスタイルになっている人もいますし。
あくまで、1番大事なのはその相手をよく見ること。理論は、人間の心を探るための補助線として扱うこと。自分としては、そういう認識を大事にしていきたいと思いますね。


以下は、自分が特に勉強になったことを書いていきます。完全に自分用なので、とても分かりにくいと思います(笑)
また、本の内容そのままばかりではなく、自分なりの解釈も加えていますので、読む方はご注意ください。もしも本の内容を正確に知りたいならば、ぜひ本を買ってみてください。

・クライエントは通常、自分の問題で当惑している。自分の心が自分を裏切る時があると分かっていても、その理由が分からないのである。
(だからこそ、そこに治療者が介入する意義がある)
・隠れていたものを見せられたからといって、クライアントの症状はほとんど軽減しない。
(自己洞察が進むだけでは効果不十分。治療の場における転移を利用することが、心理療法を進める方法になりえる。あとは、「徹底操作」が重要なのだと個人的には思う)
・無意識を発見したのはフロイトではない。彼がしたことは、無意識家庭の内容や作用についての私たちの知識を大いに増加させたことである。
・無意識とは大きな玄関ホール。そこに幾多の心的イメージ、諸衝動がひしめき合っている。意識が客間として、それらをつなぐ1つの通路がある。そこには番人がいて、受容可能なものでなければ押し返し、その衝動を抑圧する。なお、客間の中にいても目に留まっていないものもあり、それは前意識と呼ばれる。「母親の旧姓」は、言われればすぐに思い出す。そういうものは、言われるまでは前意識の中にあったのだ。
・一次過程と二次過程。
二次過程は論理の世界。時間は過去、今、未来へと流れるし、原因と結果が正しくつながっている。意識的な事象は二次過程の法則に従う。
一次過程は現実の如何によらず作用する。無意識的な事象は多くがこの一次過程の法則に従う。奇妙な論理。矛盾していることも成り立つ。1つの対象に、同時に2つの感情を抱く。父に対する恐れが、馬が私をかむという恐れに転じうる。どちらも大きくて威圧的というだけなのに。
・精神力動的セラピーの目標の一つは、重要な事項を一時過程の領域から引きずり出し、二次過程の領域へと移すこと。
・一次過程は「快原則」に従う。快を、直ちに。
・二次過程は「現実原則」に従う。少なめでも、あとでより間違いのない快を。
・イド。自我。超自我。イドとは本能欲動の貯蔵庫。常に快原則に基づいて作用。
・抑圧された考えは、類似の考えを抑圧に引き込んでいく。
・幼少期の性の承認は非常に重要。セラピストの多くは、心理学的な困難をある特定の成熟段階における問題の残滓として理解している。
・固着とは、親の反応が最適でなかったときに子供への影響が続くこと。
・生まれてから1歳半までが口唇期。吸うことが快であることを学習する。求められたときにすぐ授乳すれば、子供は楽観的になりやすい。この時期に固着すると、食べる傾向になり、受身的かつ依存的になるかもしれない。
子供は、至福が得られるのは完全に1人の時であることを学ぶ。(と書かれているが、よく理解できない。指しゃぶりしていれば快ということ?)
・肛門期は1歳半から3歳まで。排便にも、排便を我慢することにも快が伴う(我慢も快? よく分からない)。
トイレットトレーニングは子に影響を及ぼす。厳しすぎると、物事は養育者のやり方で進められるというメッセージになる。この時期に固着すると、強迫的になる。また、フロイトいわく、「行儀よく、倹約家で、頑固になる」と。
・退行とは、病的なものばかりではない。安全な場所への意味ある退却。困難から脱却するための意味のある企てでもある。
・早期の苦痛な大変を繰り返し、その反復の中で補足的な役割を他者に演じさせようとするという衝動強迫を持っている。これは「反復強迫」と呼ばれているが、その原因はよく分からない。おそらく「人生における痛みの意味を知りたい。何が良くなかったのか理解したい」という欲求が、反復強迫の動機づけの一部であろう。
フロイトは、「死の本能」の一部がこの反復強迫であると述べた。
・不安とは、危険の予期だけでなく、危機に直面しての無力の予期でもある。
心理療法の目標は、その危険を知らしめて、対処しうるようにすることになる。
・防衛機制は日常で我々がしばしば用いている。防衛は無力感を感知することから人を守る。
喫煙やギャンブルを続けられるのは、否認が働いているからである。「イライラすることがあって犬を蹴とばす」のは置き換えである。自分自身への向け換えもある(「怒りを向けられる唯一の安全な場所は自分自身だ」と考える)。
・罪悪感には、騒々しい罪悪感と、名乗りを上げない「静かな」罪悪感がある。無意識的に「当然の報いだ」と考えるもの。また、「無言の」罪悪感もある。漠然とした後ろめたさや不幸、不満を感じる。これがもっとも深刻で破壊的。
・超自我は、頭の中にある。そして、私たちの行為だけでなく、願望や空想、意図をも知っている。超自我は一次過程の法則に従うので、行為と同様に意図についても我々を罰する。「考えるだけでも罪深く感じる」
・喪失した対象の取入れは、大切な人の喪失を和らげる一般的な方法。
・転移は、治療をやり通すための最も強力な道具。
患者が転移の形で体験したことは再び忘れ去られることがなく、他のどのような手段で獲得されることよりも強い説得力を患者に対して持つ。もともと遭遇したのとは著しく異なる反応で埋め合わされる機会である。転移を話題にあげ、その感情を細かく探求するように努める。
・「間主観的」。クライエントについて生じてくる理解が、クライエントとセラピストの間主観性によって共同に形成されることを意味している。

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