「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。」を読了しました。

幡野広志さんの本「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。」を読了しましたので感想を述べていきたいと思います。

僕が幡野さんのことを知ったのは、twitterがきっかけでした。幡野さんは「なんで僕に聞くんだろう。」というブログで、様々な方の人生相談に答えておられます。この内容を見て、僕は衝撃を受けたんですよね。文章を通して質問者の背景を推測する洞察力。綺麗ごとに逃げない現実的な提案(個人的には「感動ポルノ」というお言葉にドキリとしました)。そして、厳しくも優しさがこめられた言葉。個人的に、どの回答にも学ぶものがあって、大変興味深く拝見していました。「この人の書いた本をちゃんと読んでみたい」という思いは、前々からありました。

幡野さんは1児の父でありますが、同時に、多発性骨髄腫にて余命宣告を受けている患者でもあります。限られた未来の中、彼には息子に伝えておきたいことがあって。そんなことばをまとめたのが、本書になります。彼の伝えたいことの中には、「なるほど、自分もそんな心持ちでやってみよう」と思うものもあれば、「これは自分の考え方とは少し違うかも……」と思うものもあります。しかしいずれにせよ、自分のあり方を反省できる大変興味深い本でした。
特に印象深かった言葉をいくつか書いてみます。



「優しい人というのは、人の体や心の痛みを理解できる人。自分で出来る方法で、手を差し伸べることができる人」
「大切な相手は能力でなく、その人の優しさで選ぶのがいい」

この本の序盤は、特に「優しさ」についての話が続きます。末期がんになった彼だからこそ、「優しさ」について深く考えるところがあるのでしょうね。特に自分が印象に残ったのは、上の2つでした。
彼は、相手の痛みを理解できる人が優しい人と言います。「自分が良いと思った方法を押し付けるのは、本当の優しさではない」という言葉にはドキリとしました。自分も、無意識のうちに押し付けているところがあると思ったからです。「この人の悩みは自分も経験がある。自分はこうすればうまくいった」と考えると、ついアドバイスをしてしまいたくなるんですよね。特に、子育てでもしばしばこういう経験をしています。でもこれって、必ずしも相手を尊重しているとは限りません。幡野さんのおっしゃる通り、単に親切にする自分に酔っている時もあるんですよね。だからこそ、何が優しさとなりえるのかは、慎重に考える必要があると思いました。困っている人がいたら「この人は何を望んでいるんだろう」と考え、必要であれば尋ねる。そうした姿勢を、自分も大事にしたいと思います。

また、「付き合う相手を優しさで選ぶ」という言葉もビビッときました。無意識では理解していたことを言語化してくれた、という思いです。
これ、本当に大事だと思うんですよね。自分が優しく接してもらえると、自分も優しくなれる。逆に、相手を軽んじるような人ばかりの環境で生きると、自分も尖ってきてしまう。幸せに生きるためにも、優しくない人から距離を取るのも大事だと思います。



「学校は、理不尽さを学ぶ場所だ」

この考え方は、とてもしっくりきました。自分も学校が大嫌いで、「あんな所に行く意味は何だろう」とずっと思っていました。
子供がもし「学校、今日は行きたくない」と言った時、それをどのように受け取ればいいのか。「行かなくていい」とただちに言うべきか。それとも「行ってみようか」と少し背中を押すべきか。
それを判断するための補助線を新たにひとつもらったという気がします。
生きていれば、必ず理不尽なことにぶちあたります。だから、その免疫をつけるという意味では、頑張って学校に行く価値はあるのでしょう。でも、行かせるメリット以上にデメリットが大きいようなら、「行かなくていい」と言うべきだと思います。ちゃんとそう言える親でありたいです。
ちなみに、幡野さんは「いじめがなくなることは絶対にない」とこの章で書いています。こう書ききる彼の姿が、僕は好きなんですよね(笑)
現実から目を逸らさないって大事なことです。でも、時に難しいことでもあります。何かしら理由をつけて真実から目を逸らしてしまう人って、少なくないと思います。
中学生の時、僕は屈辱的な言葉をかけられながらボコボコに殴られ、皆のいる教室で泣かされたことがあります。それを教室で見ていた先生はどうしたかというと。僕といじめっ子を別室に呼び出し、握手をさせて解決としてしまったんですね(笑) 握手をした僕らを嬉しそうに見る先生の顔は、今でも鮮明に覚えています。
現実は現実としてきちんと見る。そして、現実的な解決策を考えるのが大事だと僕も思います。それは時として勇気のいることだと思うけれど。親として、人間として、自分もこうありたいです。



「幸せが何かは自分で決めていいと、息子に伝えておきたい」

この言葉があるあたりの文章が、一番印象に残っているかもしれません。

「幸せとは、何の不安もなく、望んだことができていること」
「長く生きていてというのは案外、優しいことではないのだろう」

幡野さんの死生観や幸せの定義は、大変興味深いです。
何を幸せとするのかは人それぞれ。それはその通りだと思います。だから、他人のその定義を知ろうとする姿勢も大事にすべきだと思います。



また、この章には自殺についても言及しています。
青木ヶ原樹海で自殺しようとしているおじさんに会ったエピソードは色々な意見があるのではないでしょうか。幡野さんは、おじさんを止めるわけでもなくただ話をして。最後におじさんは「君は頑張ってね」と言い残し樹海の奥に消えていきます。

「僕は自殺を否定しないし、安楽死を含めて、死は絶望した人のオプションだと思っている」
「本当に死にたいと思っているなら、止める権利はないと思う」

そんな幡野さんの言葉は、心に残りました。末期がんの彼だからこそ見えているものも、きっとあるのだと思います。
では、自分は自殺にどう思うのかというと。僕はどうしても、「できる限り自殺はしない方がいいのでは」と思ってしまうんですね……。

もちろん、「解決できない問題」があるなら仕方がないと思います。例えば、ガンの耐え難い痛みだとか。神経変性疾患のため間違いなく体が動かなくなっていくとか。本当にどうしようもないことがあって死を望むなら、その選択を尊重すべきと思います。
でも、「本当に解決できない問題なのか」という判断は、とことん慎重におこなってほしいなあって思います。それはきっと、自分のエゴでもあるのでしょうけど……。

仕事がら、僕は3人の若い方の自殺にかかわりました。僕は、彼らの治療に関わっていたのです。自殺の報告を聞いた時、僕は3回とも胸が張り裂けそうな思いになりました。号泣する親御さんを前にして、なんと言っていいか分かりませんでした。自分の無力感と共に、「死とは取り返しのつかないものだ」ということを、思い知りました。
生前の本人たちからは、それぞれ悩みを持っていることを聞いていました。それは、彼らの心的事実としては大きな問題で、自殺の原因もそれだったようです。でも、第3者から見ると、それは「絶対に解決できない問題」ではないようにも思えたのです(そう僕が勝手に思っただけと言えば、そうなのですが)。少なくとも、時間がたつともう少しなんとかなる側面はあったように思えました。

あの経験を経た僕としては、自ら死を望み、それを実行するというのは、本当にどうしようもない時だけであってほしいと思うのですよね。「どうしようもないかどうかを決めるのは誰なのか」ということもあるのでしょうが……。


あまりにも長くなりそうなので、この辺にしておきましょう……。
とにかく大変刺激的な本で、自分のあり方を反省させられました。自分なりの生きる哲学を持ち、それを子供たちにも見せたいな、なんてことも思わせてくれた1冊でした。

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