物書きは、「書いてなんぼ」ですよね。

とんでもなく寒い日が続いていましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。僕は、仕事が後手後手に回ってしまって、少々しんどい日々が続いています。ま、目標を持ってひとつひとつこなしていきましょうか。
さて、今日は少し時間ができましたので、久しぶりにまとまった文章を書こうと思います。

この1年間、とにかくひたすら仕事を覚えてきました。過ごす時間の多くが職場となり、必然的に表現する場は少なくなります。特に、僕の場合は普段口下手ですので、なおさら自分の思いを表出する機会が減ったわけです。
こうなることは以前から覚悟していたことです。ですから僕は「表現を磨くために、今できることをやろう」と考え、目標を設定していました。それが、「今しかできない貴重な経験を貪欲に求め、表現の幅を広げる」ということです。この心がけは、正しかったと思います。色々な立場の方々と接するチャンス、接さなければならない状況があって、これまでわからなかった他人の表現、感情が、少しは自分なりに解釈できるようになったと思います。それは、視野の狭い僕としては大きな収穫です。
ただ、そうした日々を送ったうえで思います。「物書きとしての自分を鍛えたいのならば、表現することから離れてはならない」のです。たとえ、どんなにくだらないことでもいい。とにかく自分が文章を構築するという作業をやめてしまってはダメだと強く思います。
では、その理由について自分なりに書いてみます。
文章を書いていて、「あれ? 自分はこんなことを考えていたのか?」と、気づかされることがあります。それは、文章を作るという行為に、「書く」と「読み返してみる」の作業があるからです。「書く」は、主観的、瞬間的な側面がある一方、「読み返してみる」は客観的、保続的な側面があります。そうした作業を経るからこそ、文章で書く表現がその人にとってもっとも冷静で、深く根差した表現であるように思うのです。これは、自分でうんうんと考えてみたり、他人と話したりしてもなかなか得られないものではないでしょうか。自分の頭でぼんやりと悩んでいるとき、人は案外堂々巡りに陥っていたりします。また、他人と話していても、そこには「状況を考える」とか「相手を思いやる」などのさまざまな制限があって、「これこそが自分の本心だ」といえる表現は、なかなか出てきません。書いてみるから初めて分かること。そういうことって、多くの方に経験あることだと感じます。

以上が、僕の思うところです。すべて僕の経験則のみに基づいていますので、偏りはあるのかもしれませんが。 今の僕は、日常生活に追われていて、その経験をしている自分を客観視できていないと強く感じます。ほかの人よりも少し違った視点で世を見ていくのが物書きとしての自分を磨く術だとするならば。やはり、「経験する」ことに加えて、「自分なりに表現を続ける」ことが必要なんじゃないかな、と思うわけです。
以前は「毎日書く」と決め込んでいたこのブログも、最近放置気味となっています。「大きなエネルギーを投じてダラダラと書くことに意味があるのかな」と考えそれをやめてしまった僕ですが。あの習慣にも、とても良い側面があったのだと今更ながらに感じます。今となっては、「毎日更新します」などいえるはずもないんですが。日記に加えて、こちらの記事もボチボチ書いていけたらと思います。

……うん、思うだけで終わらないように善処しますw

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